松川十二景和歌の碑 12
松川浦は,相馬市東部にある潟湖です。大小の島が点在し,風光明媚な風景は日本三景の松島になぞらえて「小松島」とも評されています。日本三景のひとつに数えられ,福島県の県立公園にも指定されています。
今から330年ほど前の,貞亨(じょうきょう)5年(1688年)相馬中村藩第五代藩主相馬昌胤は,松川浦の名勝を新名所とし公認してもらうため,その中から12箇所を選んで,狩野派の絵師に描かせ(絹本著色松川十二景和歌色紙帖),東山天皇に願い出ました。朝廷からは,12景の絵に添えて公卿の和歌を贈ってきました。(松川十二景和歌)
ちなみに絹本著色松川十二景和歌色紙帖は相馬市歴史資料収蔵館蔵。普段は,のれんの形で展示されています。
その後12和歌全部を記した集合歌碑と個別歌碑が建てられました。
上の地図におおよその場所を表しました。震災で所在が不明のものもあります。今後調べていきたいと思います。 7つ確認,5つ流失のようです。(2019.12.12現在)
○ 集合歌碑・・・・大正13年建立されました。もともとこの歌碑は水茎山の夕顔観世音堂の境内にありましたが、昭和18年に旧松川部落が現在の松川に移住させられた際、夕顔観音堂ととに船越観音堂境内に移設されました。
○個別歌碑・・・・昭和50年代、60年代に観光や文化の向上を目的に相馬市などによって建てられました。
1 松川浦
旅館かんのやさんの向かいにある潮干狩遊漁券発売所・休憩所のすぐ脇にあります。
「春やなほ たぐひも波の 曙に かすむ緑の 松川の浦」園従一位基福
・・・・ほのぼのと春霞に明ける波静かな松川浦の春景色は、ほかに比べるものがないほどすばらしい。
2 水茎山(みずくきやま)
松川浦大橋から鵜ノ尾岬トンネルを抜けてすぐの駐車場側の階段を上ります。
へりおす慰霊碑方面(東・海側)へ進みます。
「うつし絵も 及ばんものか 桜咲く 水茎山の 春の面影」久我大納言通誠
・・・・桜の花盛りの水茎山のすばらしい春景色には、どんな絵も到底およばないだろう。
3 飛鳥湊
震災前は,トンネル南側駐車場のわきにありました。現地探査と地元の郷土史家さんへの聞き取りの結果,津波により流失したものと思われます。
「よる舟も とめて湊の 名をや知る 明日は飛鳥の 変る浮寝に」
・・・・あすかのみなとという由来は,舟を寄せてみてはじめてわかったことだ。「きのうの渕は今日の瀬となる」という古歌のように変わりやすいのが人の世の常なのであろう。
4 離岬
震災前は,上の飛鳥湊歌碑の西側の島にありました。現地探査と地元の郷土史家さんへの聞き取りの結果,津波により流失したものと思われます。
「冬寒き 色あらはれて 離崎 岩根の松ぞ 雪に木高き」河野中納言季信
・・・・はなれ崎の岩山の松には,雪が積もって冬の寒い景色もかえってすてがたい趣があるものだ。
5 松沼浜 (まつぬのはま)
震災前は松川浦大橋の袂にありました。現地探査と地元の郷土史家さんへの聞き取りの結果,津波により流失したものと思われます。
「船寄せて 涼しき浪に 月をなほ まつぬの浜の 松の下風」
・・・・まつぬの浜の松の下に,舟を寄せて月を待っていると涼しい風が,波の上を吹いてくる。
6 川添森(かわぞいのもり)
相馬市和田観光苺組合南にある藤田養魚場から東へ田んぼの中の道を慎重に進みます。相馬市ポンプ場付近の電信柱の前にひっそりとたたずんでいました。
「夕月の 光も清く 川添の もりて涼しき 秋の初風」刑部尚書源惟庸
・・・・夕月の光も清い川添の森に居ると,涼しい秋の初風が森を洩れて吹いてくる。
7 文字島
相馬市岩子の塩竈神社に「9番 沖賀島」と一緒に設置されています。
階段を登りきったところから右手(海側)に向かいます。
「冬寒き 水にもうつす 文字島や おくれし秋の 雁の一つや」白川神祇伯雅光
・・・・晩秋になってともにおくれた雁の一群が寒い水に影をうつしながら,文字島の辺を飛んでゆくことよ。
8 紅葉岡
相馬市岩子の長命寺さんの門をくぐって本堂の方に向かいます。本堂と向き合う形で建っています。
「名もしるく 磯しほ染めて 色や濃き 紅葉の岡の 秋のこずゑは」飛鳥井三位雅豊
・・・・紅葉の岡という名前の通りに,ここの紅葉の色のあざやかなことは,いく度も染めた結果であろう。
9 沖賀島
相馬市岩子の塩竈神社に「7番 文字島」と一緒に設置されています。
「沖が島 見る目涼しき 有浪の 寄する葦辺ぞ たぐひしもなき」冷泉少将為綱
・・・・沖が島の葦辺に夕浪が涼しく寄せている様子は,たとえるものがないくらい趣がある。
奥の方には,立派な神社があります。
10 梅川
津波により流失したと思われる場所にあったのですが,無事でした。
アクセスはわかりにくいです。磯部漁港から堤防沿いを歩くのが分かりやすいです。片道600mほどです。
「さす舟の 棹の雫も 匂ふなり 浪も花咲く 春の梅川」武者小路少将実陰
・・・・舟に棹さすそのしずくさえ匂うほどだ。ここは梅川なので波のしずくにも花が咲く感じである。
石碑には痛々しい跡が付いていました。
11 長州磯(ながすのいそ)
以前大洲公園内にありました。 現地探査と地元の郷土史家さんへの聞き取りの結果,津波により流失したものと思われます。
「真萩咲く 長洲の磯の 夕なぎに 汝も飽かずや あさる雁がね」野宮少将定基
・・・・萩の咲いているながすの磯の夕凪の渚にただずんでいると、雁たちも磯でいつまでも飽きずに餌をあさっていることだ。
12 鶴巣野(つるすの)
現地探査と地元の郷土史家さんへの聞き取りの結果,津波により流失したものと思われます。
「住みなれて 己が名に負う 鶴巣野に 千代経る雛の 栄をも見む」白川二位雅喬
・・・・千年も長生きするというめでたい名を自分の名として持っている鶴よ。その名の通りいつまでも長生きして子孫を栄えさせてもらいたいものだ。
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参考文献「松川浦ものがたり」 松川浦ものがたり刊行委員会発行